Choose life.

プロ野球選手を紹介しています。

【トリプルスリー】メジャーも認める 特大ホームランを量産する最強のスラッガー 柳田悠岐【ソフトバンクホークス】【プロ野球選手】

f:id:Chooselife:20200202201619j:plain

yanagita


【トリプルスリー】メジャーも認める 特大ホームランを量産する最強のスラッガー 柳田悠岐【ソフトバンクホークス】【プロ野球選手】

世界の王に見出された超人も非力だった高校時代。
今回は日本を代表する打者に成長した柳田悠岐選手を紹介する

1988109広島県広島市に生まれる。小学校3年生で野球を始め、中学校は軟式野球をプレー。高校は古豪広島商業高校に入学するも甲子園出場はなく高校通算11本塁打。大学は広島経済大学に進学すると肉体改造に着手。高校時代180cm68kgだった体も187cm89kgと鋼の肉体を手に入れ、大学時代は4度の首位打者に輝くなど活躍。そして2010年ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークス2位指名で入団。当初ホークスは2位で秋山翔吾(現:MLBシンシナティ・レッズ)の指名を予定も王貞治会長の「誰が一番飛ばすんだ?」という鶴の一声で柳田の指名となった。

 

 【新人王候補も立ちはだかる選手層という壁】

2011年はキャンプで新人唯一の一軍スタートもシーズンのほとんどを2軍で過ごす。二軍では打率.29113本塁打43打点、20盗塁と活躍。その反面85三振と粗さも目立つシーズンとなった。

 

2012年も開幕から二軍もシーズン半ばに1軍昇格。85日の西武ライオンズ戦ではプロ第1本塁打を放った。最終的に68試合に出場して打率.2465本塁打18打点、6盗塁をマークし徐々に才能の片鱗をうかがわせる。

 

20137番センターで開幕スタメン入り。レギュラーとして起用されていたが625日の日本ハム戦でダイビングキャッチを試み戦線離脱。その後7月に復帰し最終的に打率.29511本塁打41打点をマークしたものの怪我に苦しむシーズンとなってしまった。

 

2014年は全144試合にスタメン出場。不動のレギュラーを確保すると打率.31715本塁打70打点、33盗塁の好成績を残し、ホークスの優勝・日本一に貢献。ベストナインゴールデングラブを初受賞。日本シリーズ2戦では4安打1本塁打2打点の活躍を見せ優秀選手賞を受賞。オフには日米野球日本代表に選出。打率3割、6安打4打点と大暴れし日米野球MVPを受賞。対戦相手から「アメリカに連れて帰りたい」とまで言わせ名実共に日本を代表する打者へと成長。

 

【超人ギータついに覚醒。記録ずくめのトリプルスリー】

この年就任した工藤公康新監督のもと開幕から3番に固定。打線の中核としてチームを牽引すると30本塁打30盗塁をクリア。しかし926日の対ロッテ戦で死球を受け、残りの試合をほぼ欠場することになってしまうが最終的に打率.36334本塁打99打点、32盗塁、出塁率.469の成績を残しヤクルト山田哲人と共にトリプルスリーを達成。史上初の首位打者でのトリプルスリー達成、ホークス初のトリプルスリー達成という記録ずくめの成績を残しホークスの2年連続リーグ優勝に貢献。日本シリーズでは2年連続7度目の日本一に輝くなど柳田にとって過去最高のシーズンとなった。

 

2016年は2年連続のトリプルスリーが期待される状況で16試合連続四球を記録したが、徹底的なマークに苦しみ成績がダウン。さらにシーズン終盤の負傷もあり120試合の出場に留まる。打率30618本塁打23盗塁に終わったが、2年連続リーグ1位となる出塁率.469を記録。これは12球団どころかこの年のメジャーリーグ出塁率No. 1マイク・トラウト出塁率.441をも上回る驚異的な数字である。

 

 【超人ギータに襲いかかる度重なる怪我との戦い】

2017年は428日対オリックス戦で死球を受け調子を落とすが交流戦で復調。打率.32723本塁打75打点と三冠王を期待させる勢いだったがシーズン終盤にまたも負傷。打撃タイトルは逃すが3年連続の最高出塁率.426)を獲得。横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでは優秀選手賞を受賞しチームを2年ぶりの日本一に導く。

 

2018年は打線の中核としてチームを牽引。しかし毎年恒例となったアクシデントもあり最終的に130試合の出場に終わるも打率.352首位打者出塁率.431で最高出塁率のタイトルを獲得。

クライマックスシリーズでは2本塁打8打点の活躍でMVPを獲得。チームを日本シリーズに導く。プロ入り以来夢であった地元広島カープとの日本シリーズでは、執拗なインコース攻めに苦しんだが第5戦にサヨナラホームランを打つなどしホークス2年連続の日本一に貢献。2年連続で日本シリーズ優秀選手賞を受賞した。

 

2019年も開幕9試合で打率.3554本塁打と絶好調だったが、47日のロッテ戦でまたも戦線離脱。一軍復帰はシーズン終盤になってしまう。復帰後も本調子とは言えず、最終的に打率.2897本塁打とレギュラー定着後最低の数字に終わった。チームはリーグ優勝を逃すがクライマックスシリーズで西武に勝利。勢いそのままに4連勝し3年連続日本一となる。

そしてオフには来季から新たに7年契約を結び直し、生涯ホークス宣言をした「超人ギータ」に来季からも期待したいと思う。

【お化けフォーク】エグいボールを投げる男 千賀滉大についての物語【ソフトバンクホークス】

 

f:id:Chooselife:20200202200241j:plain

senga


【お化けフォーク】エグいボールを投げる男 千賀滉大についての物語【ソフトバンクホークス】【プロ野球選手】

201996日令和初のノーヒットノーランを達成 高校では「野球をやるつもりがなかった」という千賀投手。

 

19910323日愛知県蒲郡市に生まれる。

小学2年生から野球を始め中学校では軟式野球部に所属し、三塁手としてプレー。

高校は地元の蒲郡高校に進学。1年時から公式戦に登板すると、2年時からはエースとしてチームを牽引。しかし最後の夏は3回戦で敗退するなど高校時代ほとんど無名の選手でスカウト陣から注目されることもなかった。

そんな平凡な高校球児に転機が訪れる。地元のスポーツ用品店の経営者がソフトバンクホークスのスカウト部長と知り合いだったため千賀を推薦。

かくして2010福岡ソフトバンクホークスに育成4巡目ながらも入団。

【プロ入り後は三軍も経験、苦しみながら歩み続けた4年間】

2011年の入団初年度は、三軍が主な舞台となり、シーズン終了後のみやざきフェニックスリーグで二軍戦デビューを果たすと、

翌2012年は二軍が主戦場となり、7勝・防御率1.3383奪三振ウエスタン・リーグで結果を残す。

そして2013年開幕を一軍で迎える。東北楽天ゴールデンイーグルス戦で一軍初救援を経験すると、救援投手による公式戦連続無失点イニング(343分の1パリーグタイ記録を樹立、51登板141セーブ17ホールドと一軍中継ぎ投手としてチームに貢献。しかし順風満帆に見えた選手生活に大きな逆境が訪れる。翌2014年から2015年まで、右肩の痛みや調整不足による二軍降格により一軍で出場する機会が激減。球団フロントに対して先発への転向を訴えていたが武田翔太中田賢一スタンリッジなど一軍の先発投手の層の厚さもあって、なかなか一軍に定着することができずにいた。それでもクライマックスシリーズ日本シリーズでは、素晴らしいピッチングを披露。特に日本シリーズ対ヤクルト第4戦では、2点リードの登板で2イニングを完璧に抑えるなどチームの日本一に貢献。来シーズンに向けてのアピールに成功。

2016年千賀にとって今までの鬱憤を晴らすようなシーズンになる】

開幕直後にシーズン初の出場選手登録を果たすと対西武戦でシーズン初勝利。そこから最速155キロのストレートと千賀の代名詞ともなった「おばけフォーク」を武器に先発8連勝と破竹の勢いで白星を重ねていき最終的には12勝・防御率2.61181奪三振の成績を残す。シーズン終了後には日本代表に初めて選出。「侍ジャパン強化試合」で登板を果たすなど名実共に充実したシーズンを過ごした。

 

2017年はワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、1次ラウンドから通算4試合に登板し防御率0.82を記録。また本大会に登板した投手としては最多となる通算奪三振16を記録。このような活躍が高く評価され大会最優秀投手に選出。

シーズンが始まると育成選手として同期入団の甲斐拓也とバッテリーを組み対日本ハム戦ではプロ野球史上初の育成選手出身の先発バッテリーとして勝利を飾る。最終的には自己最多の13勝、最高勝率のタイトルに輝きチームを2年ぶりのリーグ優勝へと導くと、日本シリーズでは、第1戦に先発登板し日本シリーズ史上初となる育成選手出身の開幕投手としての初勝利を飾りチーム2年ぶりの日本一奪還に貢献した。

2018年も13勝を挙げたが2度の故障をなど防御率で自己ワーストを更新するなど、シーズンを通して苦しむ1年となった。

 

【令和初ノーヒットノーラン達成】

そして2019年。前年に続いて開幕投手として登板した千賀は自己最速の161km/hを記録し96日対ロッテ戦にて史上80人目のノーヒットノーラン達成。育成選手・令和初のノーヒットノーランである。最終的にはリーグ最多227奪三振を記録して令和初の奪三振王のタイトルを獲得した。

この年チームはリーグ優勝を逃すもクライマックスシリーズパリーグ王者西武に勝利。日本シリーズでは3年連続日本シリーズ開幕投手として白星を挙げ、チームはその勢いのまま讀賣ジャイアンツに4連勝。日本シリーズ3連覇に貢献した。シーズン終了後には、バッテリーを組んだ甲斐拓也と共に自身初のゴールデングラブ賞を受賞。育成出身投手としては初となるベストナインも受賞。